History

 

 

2001年 中東研究会 創大祭展示 A326

多様なイスラム復興〜テロ草の根か〜

はじめに

             米国で同時多発テロが発生した事は周知のことと思います。そして米国内で800万人と言われる在米アラブ人に対しての

           暴行事件が起こっている事も。我々はそれを知ったときに危機感を感じました。なぜなら、テロが無関係の人を巻き込む残酷な

           事の様に、犯人がアラブ人らしいと言うだけで事件に関与していない無関係なアラブ人が被害を被るという悲しい構図が成り立

           っているからです。これは、宗教にも言える事です。連日の報道により日本人がイスラームに対してのイメージが加速度的に悪

           化しています。本来、イスラム原理主義過激派とマスコミで報道されているものも近年、イスラム世界で起きているイスラム復興

           運動という社会現象から派生したものなのです。イスラム原理主義を理解するには現在イスラム世界で興隆しているイスラム復

           興運動とは何なのかをまず理解しなければならないでしょう。

            

             今回の展示では、イスラム復興運動という大きな視点から「本当にイスラーム=テロなのか」というアンチテーゼと再確認の

           意味を込めて論述していきます。

 

 

一章 イスラム復興運動とは

              イスラム復興運動(以下 復興運動)とは近年、イスラム世界各地で見られるイスラームという宗教を復興させようという

            社会現象である。

 

1.復興運動の起こり

             では、この復興運動はどのような歴史的経緯により発生したのだろうか。

             復興運動自体はムハンマドがイスラームを開いて以来、イスラム世界が腐敗、及び危機的状況に陥った時に度々起こった

           ようである。今日、進行している復興運動の発生の要因には、19世紀後半からのオスマン帝国が西欧の植民地獲得競争等

           の外圧によって勢力が衰退し、1922年に崩壊してしまったことがある。これを契機にイスラム世界全体に危機感が走った。

           だが、中東地域の植民地支配を経て、第二次大戦後の中東諸国の独立運動、1950年代のアラブ民族主義の興隆などによ

           り復興運動の芽は影を潜めることとなった。復興運動の芽が再び地下から表面に吹き出したのが1967年の第三次中東戦争

           での「アラブの大敗」であった。この敗北によりイスラム世界は第三の聖地であるエルサレムを失い、アラブ民族主義は失墜し

           た。この歴史的事件により民族主義に立脚していたアイデンティティの喪失と「自分たちが世俗化し、イスラーム法を捨てたが

           ために神の怒りを買った」という反省、自己批判というムスリム(イスラム教徒)の独特な思考法によりイスラム復興運動という

           大きな潮流は動き始めた。そして、その復興運動が欧米社会に初めて認知されたのが、1979年のイラン革命である。この革

           命はホメイニーの指導のもと近代化政策を推し進めていたパーレヴィー王朝を非暴力で打倒したものであり、一方では少数派

           であるシーア派ムスリム社会での革命であったので多数派のスンニー派ムスリムからは忌避されたが、イスラム世界全体に

           自信を持たせる事件であった。1991年の湾岸戦争ではアラブ同士、同胞同士が争う戦いとなり、中東諸国内では民衆の現

           政権に対する不満を増大させた。多国籍軍のサウジアラビア駐留も国内の風紀が乱れたと反欧米感情を促進することとなった

          。さらに冷戦終結後に欧米諸国が世界の新たなる秩序として西洋の価値体系を中東に押しつけてきているとの認識からイスラム

           世界で反欧米感情が拭い去ることができなくなっている。

 

2.中東諸国の現状

              前項では復興運動の興隆の歴史的流れを見てきた。次に中東諸国内での復興運動を興隆させる結果となった要因につい

            て見てみよう。

              現在、中東諸国では王制を含め共和制国家のほとんどが権威主義、または独裁的な色彩の強い政治体制をとっている。

            これは国民の政治参加が限られていることを意味し、国民の声が政策に反映されにくい現状なのである。国内の支配層の腐

            敗、そして近代化、都市化による就職難や貧富の格差の増大、石油をはじめとする資源を持つ国と持たざる国との間の生活

            レベルの格差などの経済的、社会的問題もあり、神の前の平等を説くイスラームの教えに反してると感じる中東諸国の国民

            は多くの不満を抱えている。このような社会的不満を持った国民が復興運動を支えているのである。さらには、詳しい説明は

            後述するが政府が充分にできていない福祉、教育等の社会的サービスを復興運動組織が代行している国も存在する。

              このような中東諸国の現状も歴史的要因のみならず、復興運動の興隆、活性化を説明するのに無視することができない

            要因であろう。

二章 イスラム復興のメカニズ

              ここまで復興運動の興隆の要因について述べてきた。ここで、イスラム復興運動になるまでの具体的な過程を述べよう。

              簡単な図に表すと下のような図になる。

              図にそって説明していくと、ムスリムの独特な思考法である自己批判世俗化、脱宗教化によるイスラームに立脚した

            伝統的道徳観念、価値観の崩壊に対する危機感、そして近代化に伴う不平等感とがきっかけとなり、「イスラーム覚醒」とい

            う状態になる。これは宗教心に目覚め、礼拝の励行、イスラーム的服装、貧者のための喜捨等の個人レベルでの教えを実践

            し、イスラーム的アイデンティティを回復させようとする活動を言う。イスラームは個人のみならず、社会をも律する包括的な宗

            教である。そのため、もとより社会性を強く持っているのである。個人レベルでの活動は次第に広がっていき、やがてモスクを

             建設するなどの社会現象化し、社会の諸分野においてイスラム法を適用させようとし、社会のいたるところをイスラーム化させ

            ようとする状態になる。この状態がイスラム復興運動と呼ばれている

 

(イスラム復興の構図)

             

第三次中東戦争の

敗北により

アラブ民族主義の失墜

イスラム世界で

俗化、西洋化が

進む

イスラム世界で

近代化が進む

民族的アイデンティティの喪失
伝統的イスラム社会の変容
イスラム世界で 貧富の格差が進む

イスラム法を

守れなかったとの

自己批判

伝統的道徳観念の

崩壊に対する

危機感

イスラームの

平等の教えに

反するとの認識

 
イスラーム覚醒
 
 
 
 
イスラム復興運動
 

          

三章 復興運動の多様性・複雑性

             前章まではイスラム復興運動の興隆の歴史的経緯、イスラム復興運動がどのようなメカニズムで発生していくか単純なモ

           デルを提示して述べてきた

              しかし、このイスラム復興運動というものは一言でこういうものだとは提示しにくい。それほどまでに多様性、複雑性を内包

           している運動なのである。そこで、この章では少しでも多様なイスラム復興をより正確な全体像に近い形で理解していただくた

           めに、復興運動のタイプ、イスラム原理主義とはどのようなものかといった顕著に多様性、複雑性を表している以下の6つの事

           柄について紹介し、言及していていこうと思う。

1. 復興運動のタイプ

2. イスラム原理主義とは

3. 中道派の目的・構想

4. イスラム復興に対する諸議論

5. 復興組織の二面性

6. 復興運動の担い手

 

1.復興運動のタイプ

    イスラム復興運動--------統合型

                     個別型

 

    イスラム復興主義--------穏健派

                                 急進派(イスラム原理主義)

 

              復興運動は、例外もあるが大きく分けて2つのタイプがある。1つは統合型という宗教、福祉、政治などの広範な分野をカ

            バーするタイプ。もう一方、個別型という教育なら教育、福祉なら福祉と言ったように1つの分野に特化したタイプである。個別

            方の中にはむろん政治に特化したものもある。それらは、イスラム復興の問題課題を政治イデオロギー化したイスラム復興主

            義を掲げ、政治権力を奪取することにより、上からのイスラム化をすることを目的とする。中には当然いろいろな派があり、革新

            派、急進派があり、武力闘争を肯定する組織も存在する。これが今日イスラム急進派、イスラム原理主義と言われている。

2.イスラム原理主義とは

                ここでイスラム原理主義について触れておこう。「原理主義」とは「ファンダメンタリズム」の訳語であり、その語源は19

             世紀初頭に北米で起きたキリスト教のプロテスタント運動からきている。彼らは聖書を「神の書」とし、「ファンダメンタルズ」

             (根本教義)を提示し、伝統的聖書解釈をせず、ハルマゲドンの強調など独自の解釈が多かった。彼らは宗教的には熱心

             であったが、他の人々から「偏狭」「頑迷」「反近代的」と否定的に見られたのである。そして「イスラム原理主義」とは欧米の

             マスコミなどがイラン革命等に対して「イスラーム・ファンダメンタリズム」と否定的な意味を込めて、名付けられたのである。

             それを日本のマスコミが中東地域の過激派のテロ等の報道の際に頻繁に使用した。しかし、イスラム原理主義に対する明

             確な定義はなく、キリスト教原理主義とも類似的な部分はない。そもそもイスラームは礼拝等の実践に重きを置く宗教であ

             るので、原理的であるといえる。したがってイスラム原理主義という思想なり主義なりは存在せず、日本のマスコミ報道で

             言う「イスラム原理主義」とはイスラム復興主義の中の過激派、急進派のみを指しているのである。

 

3.中道派の目的・構想

                前述したイスラム過激派、急進派は極めて少数派である。復興運動は中道派が主流を占めているのである。比率で

              言えば、全体の9割が中道派である。ここで、多数派である中道派のイスラム復興に関する構想を紹介しておこうと思う。

 

イスラム復興までの方法

               中道派は急進派などとは決定的に違い、個人からの段階的なイスラム化に伴なって平和的にイスラム国家に移行する

             ことを理想としている。社会のイスラム化のために福祉や教育を重視している。そして、イスラム法が施行されれば、現体制

             でもイスラム国家に移行が可能であるという立場をとっている。

 

段階的イスラム化の図

個人→家庭→社会→国家

 

経済

               国際関係ではイスラム諸国との同盟策を用いて経済もイスラム化し、各国と協力して発展することを考えている。

 

国際関係

               イスラム世界が一つの「国際勢力」としての地位が確立し、他の勢力との平和的共存が安定すべきであり、西洋との不

             幸な歴史的経緯に起因する心理的な障害が存在するが平和共存が達成される過程でそれは払拭されなければならないと

             している。

               このように急進派の中には長期的な目標を持たずに当面の政治状況に応じて行動している組織も多く存在しているが、

             中道派の構想は根本的には草の根の平和的活動を主体とし、外部勢力との関係についても穏健な路線をとっており、危険

             な性格はあるようにはみえない。そして、復興運動が興隆しているといっても復興派はイスラム世界では優勢を占めておら

             ず、その中で急進派が一割と考えると急進派の規模の小ささがわかるだろう。

4.イスラム復興に対する諸議論

                イスラム復興の諸派全てに共通する事は、イスラム法を施行することである。ムスリムにとっての理想の社会はムハン

              マドが存命し、厳正なイスラム法が施行されていた頃の社会である。しかし、この理想社会を建設するのに諸分野で様々

              な立場からなる議論が起こっている。

 

政治論

                イスラームには元来シュラー(合議)の原理がある。この原理を社会システムに組み込むことを要求している。これは、

              一般には議会制の要求と考えられており、このシュラーの採用により専制政治をやめ、自由な言論に基づく議会性を実現

              させようという主張がある。しかし、宗教的マイノリティーの議席配分問題ほか現政権等の保守的な支配者層には警戒感

              を与え対立の様相を見せている。 自由な言論といってもムスリムが大半の社会ではイスラームは否定される対象ではな

              い。イスラム法、政教一致などイスラームを否定する言論は制限される。これは現在の中東諸国でも当り前のことである。

 

民主化論

                王制、独裁体制が主流を占める現在の政治の民主化においても論議が巻き起こっている。

                民主化における論議は大きく以下の4派に分類できる。

 

保守派

                「イスラームはすでに民主的でこれ以上何も必要としない」とし、サウジアラビア等のイスラームに厳正な国や民主化

              に消極的な国はこの立場に近い。復興運動のなかでは少数派である。

 

復興主義派

                「近代民主主義は西洋の文化侵略の一環であり、まったく受け入れられない」とする立場。これは「西洋は民主主義と

              言いながら、一方では外に向かって過酷な植民地支配を行った」という認識が根底にあり、単なる被害妄想のたぐいとは

              言い切ることが出来ない面がある。

 

リベラル派

                「イスラームと民主主義との結合が必要」という立場だが、ここで問題となる部分が「イスラム自体に民主主義はないの

              か」と疑問を呼び一般人に対して説得力が欠けるところがある。

 

中道派

                「イスラムの様々な可能性の中からイスラム民主主義を確立する」という立場であり、この論議の主流を占めている。

              具体的な主張には「イスラームにはクルアーン(コーラン)に定められた「シュラー」の原則があり、これがイスラム民主主義

              の基礎となる。従来のイスラム王朝、諸政府の欠陥はクルアーンに規定されているにもかかわらず、一切実施していない

              ことにある」とある。問題としては、イスラム法がどこまで再編することが出来るか未知数であるという点である。

 

5.復興組織の二面性

                復興組織にも一言で論じることができない部分がある。 前述した広範な分野をカバーする統合型の典型として1929

              年にハサン・アル・バンナーによってエジプトで成立したムスリム同胞団がある。歴史の長い復興組織であるが1987年

              以前は、下からの段階的イスラーム化という平和的活動を行い、「いまだにイスラム国家樹立の段階には達していない」と

              し、直接的な政治闘争は否定していた。

                しかし、87年からのパレスチナのインティファーダ(民衆蜂起)により「ハマース(イスラム抵抗運動)」を創設し、イスラ

              エルに対して武装闘争を開始した。 創設に踏み切った理由として、民衆の支持により正当性を主張される復興運動組織

              が民衆が闘争を開始したのに闘争をしないわけにはいかなかったことという点や、同胞団の中の若い世代が急進化した

              とも言われている。 一方では平和的活動、もう一方では反イスラエル武装闘争といった二面性を持っている組織の存在

              理解を複雑にしている。

6.復興運動の担い手

                復興運動を支える支持者、活動者の中にも復興運動の理解を複雑しにしている面がある。

 

                  @就職難によって職のない理系大卒者や将来に将来に大きな不安を抱える理系大学生

                  Aイスラームの名を語り、自らが政治権力を握り自己の主張を通そうする人々

 

                 主にこの二つのタイプが理解を複雑にする。@の者たち 本来は世俗化、近代化の恩恵を受ける人々が復興運動に

              参加するのは理解しにくい。Aは表面上はイスラームを語っているので、その他の復興組織と見分けがつかない。それ

              だけでなく、急進的、過激な活動をする傾向が強いので、その他の組織も同一視されてしまう場合もある。

                このように復興運動は紋切り型の見方ができないほどの多様性と複雑性に満ちている。イスラム復興運動という大き

              な潮流はテロという一方的な視点のみでは全体像を理解することができない。

 

終わりに

                イスラム復興の多様性、複雑性はわかっていただけたでしょうか。そして、イスラム復興運動の9割は穏健で地道な

              草の根の活動であるということも。このようにイスラム復興運動とは一部の復古主義者を除いて大部分は「伝統的イスラ

              ームへの回帰」ではありません。「現代にいかにイスラームを適用させていくか」という新たな価値の創出運動という傾向

              が強いのです。それを、マスコミの偏った報道等の少ない情報のみによりイスラーム=テロと決め付けて良いのでしょうか

              。イスラム世界も現代と宗教の統合の理想的な形を苦悩しつつ手探りで模索しています。肝心なのは、多くの情報をもと

             に様々な視点から分析し、より誤解の少ない形で全体像を理解するよう努力することではないでしょうか。イスラーム及び中

             東地域は日本人になじめが薄いため、多くの誤解を持たれています。その誤解を少しでも減らせるよう我々、中東研究会は

             日々活動し続けたいと思っています。

                今回の展示により少しでも多くの方が中東地域に興味を持ってくださったら幸いです。

中東研究会の立場

                2001年9月11日(火)に世界貿易センタービル、ペンタゴン(米国国防総省)にと相次いでハイジャックされた民間

              航空機が衝突、墜落しました。

                我々、中東研究会はテロの絶対否定、そして現在進行中の米国のアルカイダ及びタリバンへの軍事的報復にも反対

              の意を表明します。

                テロは罪もなく関係もない人々を無差別に巻き込むという残酷な行為です。いかなる理由があろうとも容認することは

              出来ません。しかし、米国の安易な軍事的報復も容認することは出来ません。もっと違う平和的な手段があるのではない

              でしょうか。米国及び協力国は反抗組織の拠点、タリバンの軍事拠点を空爆し、医療品・食料等の物資を空中から投下し

              ているようですが、誤爆も起こっており、アフガニスタンの住民の憎悪をかえって煽り立てる結果となっているのではない

              でしょうか。ラディン、タリバンの反米感情にも理由があります。ラディンは、湾岸戦争の際に米国を主とする多国籍軍の駐

              留により、サウジアラビア国内のイスラーム的風紀が乱れた事に反感を持ち、タリバンは米国の圧力により国際連合でア

              フガニスタン正式政府と認められていないことによる反感を持ちました。そして、中東和平交渉での仲介者たるアメリカの

              イスラエル寄りの政策によるアメリカに対する失望により、中東諸国には米国に対する不信感が広がっています。

                それ以前にはアメリカの一定の好意がありました。それを失った原因が米国にまったくないと言えるでしょうか。中東

              地域はその地域に住む人々の土地であり、そこには、伝統があり、文化・倫理があります。そこへ理解できないといって

              一方的な主張を押し付けて良いのでしょうか。我々は、もう少し相手を尊重する必要があると思います。

                テロは確かにひどい行為です。しかし、人類は20世紀に2度の世界大戦により多くの事を学んだのではないでしょうか

              。戦争の悲惨さ、残酷さを。2度と興してはいけないと固く誓ったのではないでしょうか。それを一時の感情の高まりによっ

              て不意にしてしまうのは早計ではないでしょうか。憎しみは新たな憎しみを生みます。これでは永久に国際紛争は解決す

              ることは出来ないでしょう。武力に代わる平和的な解決手段を模索しなければならないのではないでしょか。

                最後に世界にテロの根絶と、米国・アフガニスタン双方の歩み寄りを切に期待します。

 

以上、2001年創大祭展示内容でした。

ご意見などございましたら、メールや掲示板等でお願いいたします。